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Fateはゲームはやったことないですし、テレビ版と映画版しか見ていません。
テレビ版を見たとき、面白いのですがなにか欠けていました。
Fate/Zeroを見たとき、確かに面白いのですがこちらもなにか欠けていました。
映画版はなんとなく話はわかるけどかけあしすぎました。

このテレビ版は詳細に描写されているし、これを見てZeroの補完にもなりましたし、
映画版は上書きされました。

ほとんどの人は話をしっていると思いますが、ここからネタバレありです。


面白かった点といえば人類とは何か、人生とは何か、歴史とは何か、未来とは何か。
ギルガメッシュは言いました。昔の人は自分の役割を心得ていて世の中の歯車になっていると。
これ、痛烈に現代人に対する当てつけなんですよね。
現代人は機械の進歩により仕事ってほとんどしなくても物が生産し、世の中が回るようになりました。
そんな世の中であんたはなんで生きているの?っていう問いです。
堕落した物はいらない。確かにそうです。堕落した物はすべての生物に迷惑をかけます。
人類は便利さが向上し、増え、自分の立場に甘んじているのです。
だからこそギルガメッシュの考え方というのは正しいと思います。
じゃあ、正しいことがすべてなのか?
これは現代のこの世の中を批判しています。
人類は合理化を求めました。そして、特に日本人も合理化の思考があります。
しかし、本来は趣味趣向があってこその人生なのです。
なんでといえば、それは人には感情があるからです。人情と言うんですかね。
不確定要素がある。合理化を突き詰めていった結果、日本人はこの気持ちを忘れかけている。
史郎の考え方はこの情という一点のみで成り立っている。
そして、この情の行く先は性善説です。
誰かのために、自分を犠牲にする。
そしてその行き着く先には人から裏切られる。だから性悪説でしょうか。
アーチャーとの戦いでそれでも史郎は正義の味方になることを渇望する。
正義の味方って言う物ってなんでしょうか。
どうして正義の味方ってあるのでしょうか。
現実世界にもあります。例えば救世主とか、神様とか、英雄とか。
現実の世界ではそういったものは後に政に担ぎ上げられ独裁者になるかクーデターで殺されるかですけどね。
このこともFateは描写があります。それはアーサー王、セイバーです。
セイバーはそのことを知っていてもなんとか救いたかった。
だからこそ、自分は英雄にならなければ良かったと。そのときまでさかのぼりたいと。
聖杯に願いを持っています。
歴史的人物というのは共感を得やすいですが、Fateのおもしろのは歴史的人物を解釈して、
物語の駒として扱っている点です。
普通は歴史上の人物を上げた場合、その人物がどういった性格で召喚された場合、
ここまでの行動をするだろうと予測を立ててやっている物語が非常に多いです。
しかし、Fateでは過去の人物がどういう風に生きて性格が構成され、歴史がなって、
その人が何を最後に願ったのか、その上で、召喚し現代でそれを実現させようとするわけです。
そして、過去の自分を悔いて、なくなった後でもさらに英霊は成長していく。
これこそがこの物語の肝ではないのかと思います。

さて、シナリオ展開は意外と退屈なものです。
最初は殺される。生き返る。ルールを教えられる。戦う。真実を知り、裏切られる。戦う。
聖杯戦争の真実を知らされる。実は裏切られた奴に助けられる。
退屈なのですが、その代わりゆっくりとキャラクターの心情を描いています。
やはり、物語に感情移入させるためにはゆっくりとキャラクターを描写しなければならないと思います。だから、そこにストーリーを進めるにはゆっくりしなければいけないです。










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オバマ大統領が黒人射殺事件で追悼の歌を歌いました。
Amazing Graceです。
この歌は色々なところできいたことがある歌でしたが、
改めて歌詞の内容について確認しました。今更ながらこの歌は許しなのです。
まあ、許しの歌というのはキリスト教にもってこいだとは思いますが、
無宗教であったとしても心に残り、そして神秘的な感じがします。

さて、世の中には差別であふれかえっています。
そしてそれは憎しみへと変わります。そんな憎しみ、負の連鎖は断ち切るべきです。
でも我々はそれができません。人間のさがです。
日本にももちろんいくらでも差別はあります。
肌の違う人種、朝鮮人、金持ちと貧民、同じ日本人同士でも女性と男性で差別します。
もう我々はそろそろ決着をしませんか?広い心をもちましょうよ?
そして神様に許しを請いましょう!
この歌詞を書いた人のように!

とここまでが理想です。
そんなもんは幻想です。そして現実は残酷な物です。アメリカでさえまとまってないもの、
日本人にはとうていできるとは思いません。
でも、我々はそれでも生きていかなければならないのです。
でも、現実を直視するのはとてもつらい。
だから一時の幻想に身を委ねるのも一興ではないでしょうか?
そして、その気持ちというのは誰しもが持っているものと思い生きていったら、
少しは気持ちが楽になるのではないでしょうか?

と一時の気持ちにながされている自分がいます。

おわり。

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一番に思ったこと。それは学校の七不思議。
七不思議が魔女になって、能力を得ている。

なぜ学校の七不思議がもてはやされるのか。
誰にも学生時代がある。そして必ずと言って学校の不思議がある。
不思議って非日常ではあるが、あって欲しいと思う気持ちがある。
それは共感であり、また、不思議を探すと言うことは探究心を得られ、
一石二鳥である。

さて、ヒロインが7人正確には6人だが、それぞれ特色がある。
しかし、主に白石、サブが小田切だと思う。
他の4名はサブサブヒロインのような意味合い。

だからこそ三角関係は成り立っていて、小田切が脱落という演出ができる。
そして、白石一筋となり、最後は告白するラブストーリーができあがる。

なぜこの二人なのかというのはとてもわかりやすい。
小田切は目に見えてわかるツンデレキャラ。
白石は目に見えてわかる純情かわいそうキャラ。

つまり、この二人がヒロインというヒロインという王道である。
ではなぜツンデレ、純情少女キャラが受けるのか。

ツンデレはよくつんとでれの切替が良いとされている。
いわゆるギャップである。
なぜギャップがいいかというと、自分の事が好きにもかかわらずつんとしている態度が
見え隠れする男の愛されているという事実とそのごまかしているところが良いのだと思う。

純情少女キャラは愛されているということがはっきりわかっていて尽くしてくれるタイプ。
そして保護したいということだと思う。

じゃあ、ツンデレ純情少女キャラが最強のヒロインか???

物語にはサブキャラクタードラマだと配役が大切である。
なぜならサブがいなければ二人で突き進むわけだが、そこには制御する物がない。
変わり種がない。そうなっていくと物語が単調になる。
だから、悪役にも見方にもそれぞれ突出した感じがない程度でサブキャラクターは必須である。
そういう意味ではこの物語にはいくつかカテゴライズされている。

味方:超常研究部→宮村にしても伊藤にしても変人だが突出はさせないようにセーブしている。
魔女→はっきりと白石、小田切以外は目立たせないようにしているため、能力はあっても全体の調和は崩させていない。
会長→はっきりと敵だが、味方でもある存在。会長は敵と言うことでインパクトを持たせた。しかし、会長派の魔女2名については印象が薄い。そして会長は敵の割に目立たせないと感じられる。

勢力を用意するというのは、物語の説明がつきやすい。物語というのはもちろん想像の世界だが、説得力が必要だ。説得力を持たせるためにわかりやすくそしてその世界観を固めさせて納得させるのに、勢力はわかりやすい。

さて、魔女の能力はキスをしなければ発生しない。
キスって連想されるのは唇だと思う。なぜ口紅をつけるのか?なぜキスっていう行為をするのか?
それだけでキスをするというのはライトに性的なものを連想させる。
正確には異性というものを感じさせるのに用いられると思う。
じゃあ、なぜキスを採用したのか?それは単純にキスに魅力があるからだと思う。
魅力がある行為っていうのはここぞって特にそのシーンを印象づけさせる。
だからこそ、最後の山田が白石に告白してキスしたシーンは一瞬どきっとするし、
キスをして魔女の能力が発揮されるという重要なこととなっているんだと思う。

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機械と人間。機械は有限である。
有限であることをあらかじめ知っていて、話を進めていく事はとてもつらい。
それは永遠の別れというのはその人が好き嫌いに問わず、
人間には情があるからだ。

物語を作る際に突然の死と未来がわかっている死どちらがつらいか?
所詮事前にはわかっていてもつらいからどっちも一緒だ。
前に考えるか後に考えるか。
この話は余命宣言をされた時の話に通じる物があると思う。

肝となるのは普段遠いと思っていたことが、
ふとしたときにこういうこともあると連想されることだ。
遠いと思っていても身近にある。意外と共感されるところがあるのかもしれない。

設定としてロボットと人間の未来を描いている。
人間が今後どのような利便性があるかというのはとても興味がある。
例えばappleの発表会等で未来を感じるのも同じだと思う。

登場キャラクターで見てみる。
中々個性的なキャラクターがいて、良い意味で日常の平凡を描いている。
例えばミチル。いわゆるツンデレキャラ。ツンデレは場を明るくしたり、場面を変えるときには
とても便利な位置づけ。そのツンデレキャラの理解者ザック。ツンデレには理解者が必要。
というのも場面を変えることはツンデレにはできるが場が暴走するためである。

カヅキは姉御キャラ。姉御キャラの利点は物語を誘導できる力がある。
すべてを理解してる上位的な存在。だからこそコンスタンスは印象を薄くしている。

ヤスタカは不真面目で要領だけで生きている人間。
良い人間もいれば悪い人間も必要。ただし、日常キャラクターで本当に悪いキャラクターが
出てきてしまうと目立ちすぎてしまう。あくまでも主人公のサブをする役でなければならない。
そういう意味ではシェリーはそんなちょい悪いヤスタカを懲らしめる意味でもバランスがとれている。

そして忘れてはならないのはタカオ。
中間管理職。おじさん。なぜ必要なのかというと場を和ませる役割がある。
そして実際にこういうおじさんが多いから共感が得られる。一粒で2度おいしい。

この人たちがそれぞれのペアで組んで調律を保っている。

ヒロインのアイラはボケキャラだけどまっすぐで一生懸命。
か弱さを兼ね持つ純粋無垢な少女でいわゆるデンプレート的な存在。
つまり、つかさが守るにとってはうってつけの設定であったと言うことだと思う。

設定云々あるが、期限がきれたアンドロイドは暴走するって言うのも良いと思う。
というのはその前までさんざん家族として接してきたのに暴走するのはこの世界で言う
運命の理不尽さを表現するにあたって良いからだ。


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今更だけど、リマスターが発売に伴いyoutubeでダイジェスト版を見たので・・・。
当時このゲームをやりましたが、ゲームで感動したのは珍しいです。

なぜならこのゲームは儚い。
物語も演出も音楽もすべてです。
特にザナルカンドにてという曲は感動です。
というよりザナルカンド自体が感動です。

儚い夢

一生懸命プレイしたユーザーは最後の最後に報われない物語に切なく儚く思うからです。
このなんとかしろよって思う気持ちが感動の一種だと思います
そしてこの成長して謎を解き明かして最後に報われないけど前向きにという話は
RPGに合っていたからこそ、名作になれたのだと思います。

ラブストーリーとしてもよくできています。
ユウナというキャラクターは日本の男性が求める女性像であり、
応援したくなるキャラクターです。
頑張りや、人を助けようとする考え、父親が死んだ後に志を継いで前向きに進む。
純粋さというものがあります。

主人公のティーダは最初訳もわからずに物語が進んでいく。
でもそこには少年さ、勇気や前向きさ、人が死ぬことに対しての拒否、自己犠牲
実に人間の良い面らしく、そして脆い。

両キャラクターとも共通して言えるのは、助けて上げたい。
とプレイヤーは思う、

世界観にも切なさと運命の残酷さがあります。
倒したらその倒した自分がシンとなり化け物になる。
その連鎖を断ち切る必要がある。
犠牲による世界平和。
人間誰しも人のために自分を犠牲にしたいという気持ちが心の奥にある。
これはできるかできないかは別として、なんとかしたいという欲望、
偽善が働く物だとは思うけど、それで自己の欲求が満たされる。
また、運命というものは断ち切ることができないもの。
その絶対という負のものを断ち切ろうとする弱い人間を応援しようとすることこそが、
物語をさらに深いところへと誘う。

探究心という面で言えば、世界観が複雑すぎて理解できないが、
でもなんとなく理解できそうでいう爪がひっかかっている状態がずっと続く。
探求の欲求を満たそうとするプレイやーからしてみればぎりぎりのOKライン。
それは何かというと舞台となるザナルカンド。
最初からしっていればなんてことはない。
機械文明と魔法文明で人類の戦争が始まった。
機械文明が優勢となった。魔法文明にザナルカンドという都市があった。
ザナルカンドの人は侵略されそうになると、自分たちの文明を守るため、
夢の世界を魔法で作り上げ、その守護としてシンを作った。
シンは強大で機械文明が滅びた後、人は機械を嫌うように生活していた。
でも夢の世界を守ろうとするシンが現実世界で破壊を尽くした。
現実世界の人間はシンを倒そうと召喚獣を召喚して倒す。
しかし、召喚獣はシンを倒した後にシンになってしまう。
だからシンは滅びないし、ザナルカンドという夢の都市も残る。
その連鎖を破壊しようと物語が進む。

といった説明だが、最初はザナルカンドという町に行けばシンを倒せると言うことで、
進んでいく。この流れだけではそういう物なのかともうひとつ何かあるのではと考える。
次第に町の話を聞いて行くにあたり、世界に疑問をいただかせる。
そしてシンが召喚獣がなったなれの果てと知らされる。
でも話はそこで終わらない。実は召還にあたり、召還者は死亡はもちろん、
生贄の人が必要であるとそこで、また絶対的な力が働く。
そして世界がなぜ機械を嫌ったのか、秩序が保たれている世界はなぜか。
そいうった内容が徐々に公開されていく。

14年経過したが、未だに名作である作品。
そして、RPGにあったシナリオというのは本当に本数が少ない。
そんな作品でした。



最後には主人公の存在自体消えるからです。

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