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この映画は古いが、充分に見応えがある。
理由は単純な映画だが、今でも面白いと思えるポイントと被るからだ。
ただ、宗教的な所は薄かったから良かった者の、濃かったら日本人にはあわなかったと思う。

ドラキュラは神の軍を率いて聖戦を行った。
しかし、運命のいたずらで大敗したという伝言が最愛な妻へもたらされた。
妻はドラキュラをとても愛していた。
その人がいない世界など考えられないとあまりの悲しみに自殺した。
ドラキュラは凱旋後、妻が自殺したことを知る。
しかし、キリストの教えでは自殺は許されない。
そして、自分が神のために聖戦をしたのにも関わらず、その運命は誤報で、
何のために戦ったのかわからず深い悲しみと神に対する怒りが込み上がり、
神の寵愛から外れ、悪魔となった。

もうこの次点でドラキュラが悪くなく、悪いのは神様であることは明白です。
そして自分が悪魔となって寵愛を受けている人間に対し害を及ぼすのは仕方がないことです。
それなのに人間はドラキュラを悪魔として戦おうとします。
もう最悪ですね(..;)
だからこそ、この映画は悪であるドラキュラでも同情する部分が有ります。
そしてこれって人間の可愛そうとかそういった偽善な心をついている者なのかなって思います。
例えば世界各地で紛争していたり、大災害が起きても可愛そうだなー位にしか思いませんが、
その人をスポットにした場合には、何かをして上げようと思うわけです。
そういった全体の被害よりもその人個人に対し感情に心が打たれるのです。
でもそれって人は何かをするときに全体は大きすぎてイメージがわかないけど、
一個人ならイメージが沸くって事なのかなって思います。
で、話に戻るとドラキュラ一人にスポットを充てているため可愛そうと思うって事です。

あとは理想な部分ですね。
映画にも行っていましたが、男は女を求め、女は男を求めるんです。
まあ、男の方が支配欲が強く、女の方が支配されたい欲が強いとは思います。
古今東西人間は相手を支配して若しくは支配されて欲求を満たします。
それは会社でも社会でも学校でも家庭でもそうです。
だから世の中にはSとかMとか言われるんだと思います。
それで、ドラキュラは血を吸って自分の血を飲ませると永遠に支配できる。
逆に血を吸われて相手の血を飲まされると永遠に支配される。
だからこそ、男はドラキュラに、女はドラキュラに支配される側として、
それぞれの欲求が満たされるから、理想的なんじゃないのかなって思います。

古い映画ですが、なかなか面白かったです。
終わり

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