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今更だけど、リマスターが発売に伴いyoutubeでダイジェスト版を見たので・・・。
当時このゲームをやりましたが、ゲームで感動したのは珍しいです。

なぜならこのゲームは儚い。
物語も演出も音楽もすべてです。
特にザナルカンドにてという曲は感動です。
というよりザナルカンド自体が感動です。

儚い夢

一生懸命プレイしたユーザーは最後の最後に報われない物語に切なく儚く思うからです。
このなんとかしろよって思う気持ちが感動の一種だと思います
そしてこの成長して謎を解き明かして最後に報われないけど前向きにという話は
RPGに合っていたからこそ、名作になれたのだと思います。

ラブストーリーとしてもよくできています。
ユウナというキャラクターは日本の男性が求める女性像であり、
応援したくなるキャラクターです。
頑張りや、人を助けようとする考え、父親が死んだ後に志を継いで前向きに進む。
純粋さというものがあります。

主人公のティーダは最初訳もわからずに物語が進んでいく。
でもそこには少年さ、勇気や前向きさ、人が死ぬことに対しての拒否、自己犠牲
実に人間の良い面らしく、そして脆い。

両キャラクターとも共通して言えるのは、助けて上げたい。
とプレイヤーは思う、

世界観にも切なさと運命の残酷さがあります。
倒したらその倒した自分がシンとなり化け物になる。
その連鎖を断ち切る必要がある。
犠牲による世界平和。
人間誰しも人のために自分を犠牲にしたいという気持ちが心の奥にある。
これはできるかできないかは別として、なんとかしたいという欲望、
偽善が働く物だとは思うけど、それで自己の欲求が満たされる。
また、運命というものは断ち切ることができないもの。
その絶対という負のものを断ち切ろうとする弱い人間を応援しようとすることこそが、
物語をさらに深いところへと誘う。

探究心という面で言えば、世界観が複雑すぎて理解できないが、
でもなんとなく理解できそうでいう爪がひっかかっている状態がずっと続く。
探求の欲求を満たそうとするプレイやーからしてみればぎりぎりのOKライン。
それは何かというと舞台となるザナルカンド。
最初からしっていればなんてことはない。
機械文明と魔法文明で人類の戦争が始まった。
機械文明が優勢となった。魔法文明にザナルカンドという都市があった。
ザナルカンドの人は侵略されそうになると、自分たちの文明を守るため、
夢の世界を魔法で作り上げ、その守護としてシンを作った。
シンは強大で機械文明が滅びた後、人は機械を嫌うように生活していた。
でも夢の世界を守ろうとするシンが現実世界で破壊を尽くした。
現実世界の人間はシンを倒そうと召喚獣を召喚して倒す。
しかし、召喚獣はシンを倒した後にシンになってしまう。
だからシンは滅びないし、ザナルカンドという夢の都市も残る。
その連鎖を破壊しようと物語が進む。

といった説明だが、最初はザナルカンドという町に行けばシンを倒せると言うことで、
進んでいく。この流れだけではそういう物なのかともうひとつ何かあるのではと考える。
次第に町の話を聞いて行くにあたり、世界に疑問をいただかせる。
そしてシンが召喚獣がなったなれの果てと知らされる。
でも話はそこで終わらない。実は召還にあたり、召還者は死亡はもちろん、
生贄の人が必要であるとそこで、また絶対的な力が働く。
そして世界がなぜ機械を嫌ったのか、秩序が保たれている世界はなぜか。
そいうった内容が徐々に公開されていく。

14年経過したが、未だに名作である作品。
そして、RPGにあったシナリオというのは本当に本数が少ない。
そんな作品でした。



最後には主人公の存在自体消えるからです。

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学生が民衆の支持を得て独立国家を設立する話は、
大人から見れば社会力のない学生のおままごとでも、
弱者を応援するという気持ちになれる。
学生からしてみれば自分たちではなにもなせないが、
なせると思い込む年代のため、理想となる。
どちらにしても人間として優越感に浸れる話。

そして第三としてネットの力というものをちょくちょく表現している。
これもまた、ネットの力、人の団結で世界が変わると思っている人にとっては、
優越感に浸れる。


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第一話が一番面白かったと思う。
よくある金持ち結婚の話。世の中金目当ての結婚が多いが、
最後は女性には愛があり、自分が虚無に行ったあたり、人間の強さ特に女性の強さを感じる演出が
よかった。しかもそれを一話目で盛り込まなく2話目で盛り込んだあたりがよかった。
良かったというのはそういう女性が男性にとっては理想だからであると思う。
また一話目で完結しているからだと思う。それを裏設定で2話目でやると驚きがあり、
よりいっそう物語りに深みが発生する。

人間の極限状態を作って審判を下す。極限状態というのは我々に想像がツクモのであり、
話の設定としては身近な者である。
また、死んだ後の世界というのは誰もが考える者である。
例えば身近な人が亡くなった場合死を感じる。少し危ない目に遭ったときも感じる。
死というのは身近な者である。普段意識していないだけである。
だから死をテーマにしてしまうとその物語により興味を持つ。

よくある推理もの?というのは、わかりそうでわからないという状態をずっと続ける。
わかりそうでわからないというのが人間にとって探究心をくすぐられる状態であると思う。

世界観、歪められた世界が狭い密室のような世界観。
こういった世界観は閉塞感を出して、いかにも閉じ込められているということに適している。
極限状態の一環を演じている。

死の形にもいくつか形を示している。
自殺・他殺・病死などなどある。バリエーションが増えることにより物語の種類が何倍にもなる。


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テーマは世に見えないものの反抗といったところでしょうか。
最後は世に殺されるという話。
どこが面白いかというと、現実では嫌なことや世の中の理不尽さというものを感じる。
だから、テロというのは理想である。(もちろん平和のためなのだから人は殺さない)
そして、そんな現実をリセットすること。それは、電子機器がこの国の発展に寄与していたが、
それを壊すこと。
電気がなければ人はもっとまったりと生活できるのではないかという訴え。
まったりしたいという気持ちは、都内で生活している人間は誰もが思う。
地方に行ったときに落ち着くというのはそういうことだと思う。
それをリセットに置き換えて、ゆっくりと時間を過ごすというのはある意味で理想であり、
人の願望である。
願望があると言うことは、フィクションの中でくらいそういったことを求める習性が人間
にはあると思う。

ひとつの目的を隠して、少しずつわからない程度のヒントをだして進んでいく物語、
それは人の探究心を得ていることだと思う。

世界観が現実の日本のしかも東京を舞台にしているあたり、
より現実性を見せたいものだと思う。

キャラクター構成は、スフィンクスはひたすら理不尽さの被害者として演じられている。
理不尽な人間が、世の中に訴えるって言うのは誰も叩こうとはしない。
つまり、訴えが多少おかしくても誰もが受け入れる要素がある。

VONは希望という意味。
希望という言葉は理想を抱かせる言葉であり、良い言葉と錯覚する。
その錯覚させるということは良いことだと思う。

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誰かと協調して一つのものを目指す。
誰しもが経験する。なぜ感動するのか?
それは、人間は一人では生きていけないのと同じだからではないだろうか?
寂しいという感情がある。

誰かと交わりたいという人間の本質を利用しているのではないかと思う。

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