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アニメ版を視聴しました。
SFチックな世界観が良いと思います。

人類が地下に追いやられて、外に出るときは防具服で覆われなければならない。
それでも人は科学を追究する。そして、失敗する。
一方で新人類は外で生活ができ、オーバーすぎる科学技術はもっていない。
さながら江戸時代のよう。

もちろん最初は視聴者の興味を引かせるため、明らかにしてなく、小出ししていくが、
よく、一時期幸福度という言葉が一人歩きした。
ブータンは貧しいながらも、必要以上を求めず、身近な幸福を得る。
もちろん、幸福というのは定義の解釈によって変わりますが、
日本人も江戸時代くらいの頃の方がまったりしていたと思っている人がいると思います。
(ここでいう江戸時代はまったりしたものという理想郷ですけどね)
だからこそ、人の過ちと未来に生きる者として、対極的に見せていますし、
旧人類の末路も表現されています。

さて、この作品見ていて一番思ったのは、ほとんど人の心情のみで表現され、
物語が進んでいくという点です。
ですから、理屈が抜きになります。
どういう作品かにより、このストーリー上の論理立てが不要になる場合があります。
情で視聴者に訴えている作品だと思います。
例えば、トゥスクル様が理不尽な事件で死んでしまうこと。そのことで、
村人が立ち上がり、一揆が広がること。
普通ではあり得ません。もし革命の話にもっていくなら、他の村の現状、
王の冒涜、他国への協力要請などなど、あまりにも足りません。
知将が一人いても戦況は変わらないのです。
ただ、あえて無視し、弱者のために正義を振りかざし、弱者が救われる。
これがなぜすっきりするかというと、今の我々にはこんな事はできないという点です。
でも、人は常に理想を求める者です。
ですから、何かしら事件が起きる。法律では守られない部分が出てくる。
それで、被害者が悪質な加害者を法律外で処罰をしたとしても、
正義の話ですから、問題ないのです。そこに理屈はいりません。感情を動かせるかどうか、
だとおもいます。

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